バレエおよびコンテンポラリー・テクニック、振り付け
カナダ国立バレエ団、デンマーク王立バレエ団、ロンドン・コンテンポラリー・ダンス・シアターにてプリンシパル・ダンサーを務める。ムービング・ビジョンズ(ロンドン)を設立、チェンバー・ダンス・シアター(カナダ)の結成に協力した。1985年ランベール・スクールのディレクターに就任、ムービング・ビジョンズをパート・タイムの研究プロジェクトとして再建。ロンドン・コンテンポラリー・ダンス・シアター、カナダ国立バレエ団、イングリッシュ・ナショナル・オペラおよびそのほかのシアター・カンパニーで振り付けを担当。ランベール・スクールおよびロンドン・コンテンポラリー・ダンス・シアターなど、ロンドンにおけるプロ養成学校にて教師を務める。振り付けの分野では、エディンバラ・フェスティバル批評家賞ならびにガーディアン紙批評家賞を受賞。サリー大学ダンス学専攻修士号(MA)およびダーラム大学神学専攻博士号(PhD)取得。
音楽およびダンス・コンポジション
米国ニューヨーク生まれ。ニューヨーク市立大学卒業、音楽および心理学を専攻、学位を取得。その後さらに作曲家のジョン・コリリアーノに師事し音楽と振り付け、ジャック・ハイアットからバリトン・ホルン、そしてシルビア・フリードリヒから発声を学ぶ。ロンドン・コンテンポラリー・ダンス・シアター、ジャネット・スミス・アンド・ダンサーズ、バレエ・ド・サンマルコ、ムービング・ビジョンズ(音楽監督を担当)を含む数々のダンスおよびシアター・カンパニーにて公演と作曲を手がける。エチオピア、セネガル、リトアニアそしてペルーにおいてパーカッションとボーカルを利用したプロジェクトを続けており、研究を進めている。
コンテクスチュアル・スタディおよびコンテンポラリー・ダンス
ランベール・スクール修了後、1984年、ランベール・ダンス・カンパニーに加入。リチャード・アルストン、クリストファー・ブルース、マース・カニングハム、トリシャ・ブラウンおよびルシンダ・チャイルズによる作品を演じる。1994年にはシボーン・デイヴィス・ダンス・カンパニーに加入。ランベール・ダンス・カンパニー、リチャード・アルストン・ダンス・カンパニー、DV8、アドベンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズ、シボーン・デイヴィス・ダンス・カンパニー、チャムリーズなどで教師体験あり。またロイヤル・バレエ・スクール、セントラル・スクール・オブ・バレエおよびロンドン・コンテンポラリー・ダンス・スクールを含む学校で教師を務める。ケント大学にて文学修士号取得。
コンテンポラリー・ダンス
ランベール・スクール修了と同時にラバン・センター所属のトランジションズ・ダンス・カンパニーに参加。更にランダム・ダンス・カンパニー、アドベンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズ、マーク・ブルース・ダンス・カンパニー、ジェレミー・ジェームズ・カンパニー、ジャネット・スミス・アンド・ダンサーズ、スモール・ボーンズ・ダンス・カンパニー、デーヴィッド・マッシンガム・ダンス、ブループリント・ダンス・カンパニーおよびP.A.G.E.シアターで活躍。映像ではアドベンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズ「白鳥の湖」、ランダム・ダンス・カンパニー「ネメシス」、ダン・オニール「ザ・ラインズマン」出演。そのほか、プロのダンス・カンパニーやプロ養成ダンス学校およびダンスを奨励する国家機関、ナショナル・ダンス・エージェンシーにて教師体験あり。
振り付け、ベネシュ記譜法
バーミンガム王立バレエ団、スコットランド・バレエ団、ロンドン市立バレエ団にて作品の記譜を手がける。フリーランスのジャズ教師として最近ではイングリッシュ・ナショナル・バレエ学校で教壇に立つ。振り付け、コンテンポラリー・レパートリー、ベネシュ記譜法入門を教える。また、ランベール・スクールにおいてはスポーツならびに矯正マッサージ療法士を務める。
クラシカル・ソロ
バーミンガム生まれ。5歳までレニングラードにて過ごす。1938年家族で米国へ移住。ドロシー・プリングとセオドア・コスロフの指導の下、バレエの訓練を開始。
1947 年に英国へ戻り、サドラーズ・ウエルズ(現ロイヤル)バレエ・スクールに入学。1954年にロイヤル・バレエ団に入団。ソリストを経て58年バレリーナとなり、1963年にジョン・セインズベリーと結婚後、1965年引退。
1978 年、トゥイッケナムにてランベール・スクール再建時に当校とかかわりを持つようになり、ロス・マッキムのディレクター就任後アシュトンとクラシック・レパートリーの中からソロの指導を手がけようになる。1994年の南アフリカ奨学金の設立にかかわり、2003年にはランベール・スクール理事の座に就任。
バレエおよび関連科目
ランベール・スクール・オブ・バレエ・アンド・コンテンポラリー・ダンスおよびザ・プレイスにおけるセントラル・スクール・オブ・バレエにて訓練を受ける。修了と同時に、デュッセルドルフのドイツ・オペラ・アム・ラインバレエ団に加入。ジョルジュ・バランシン、ジリ・キリアン、ハインツ・シュポルリ、エーリヒ・ヴァルターおよびローラン・プティによるバレエ作品を演じる。マルモ国立劇場(スウェーデン)、ハノーバー国立劇場(ドイツ)でも公演を行い、特にハノーバー国立劇場ではクラシック・バレエおよびコンテンポラリー・バレエの両分野において、主役を演じた初のソリストとなる。ウィンブルドン・スクール・オブ・アートのシアターデザイン専攻において文学士号(BA)を取得。オペラ、バレエ、コンテンポラリー・ダンス、子ども向けシアターそしてウエスト・エンドで上演されたミュージカル数種のデザインを手がけ、高い評価を受ける。
ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスのプロフェッショナル・ダンス指導者養成コースを首席で卒業。チェスターのハモンドバレエ・スクールにて教えた後、ランベール・スクール・オブ・バレエ・アンド・コンテンポラリー・ダンスにてバレエ教師として就任。
バレエおよび関連科目
ランベール・スクール終了後、スコットランド・バレエ団に加入。メイン・カンパニーの一員として主なクラシック作品および新作全点への出演と並行して、教育課の一員としても業務に従事。ロンドンに戻りロンドン市立バレエ団とともに大規模なツアーに参加した後、ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスのプロフェッショナル・ダンス指導者養成コースを首席で卒業。
その後ロンドン・カレッジ・オブ・ダンスで学位課程および修士課程の双方で教師として豊富な経験を積む。エルムハースト・バレエ・スクールの職員を経てセントラル・スクール・オブ・バレエにてイースター・スクールおよびサマー・スクールの芸術コーディネーター、そしてレイン・シアター・アーツ、ロンドン・ジュニア/シニア・バレエ団でも職員を務める。またキャリアを通じてロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスの職員として生徒および指導者向けコースを世界各地にて開催。由緒あるフィリス・ベデルス奨学金アワードではクラス・セクションの教師を2度務めている。最近はプロフェッショナル・ダンス指導者養成ディプロマ・コースのシニア講師に就任。
バレエおよび関連科目
マンチェスター生まれ。オーストラリアはメルボルンにて幼少期を過ごす。レガット・スクール・オブ・ロシアン・バレエ卒業後、ヨーテボリ・バレエ団、スコットランド・バレエ団、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団、ポルトガルとノルウェー各々の国立バレエ団を含むさまざまなバレエ団にて演じる。ウィーン・フェスティバル・バレエ、ペーチ国立バレエ団(ハンガリー)、ミネソタ・ダンス・シアター(米国)にてプリンシパル・ダンサーを務める。また、アイルランド・バレエ団、グラインドボーン・オペラ、スコットランド・オペラでは客員プリンシパル・ダンサーを、「くるみ割り人形」、「眠れる森の美女」、「白鳥の湖」、「ジゼル」および「コッペリア」ではプリンシパル・ダンサーを務める。ロンドンのウエスト・エンドにおいて「カルーセル」、「オペラ座の怪人」に出演、ドイツはベルリンにて「ノートルダムのせむし男」のディズニー世界プレミアに参加。さまざまな学校にてバレエを教えた経験を持ち、チェスターのハモンド・バレエ・スクールでは校内のトーデヴィン・ダンス・カンパニーの芸術監督も務めている。上海バレエ団にて客員バレエ・マスターとして招かれ、最近では「オペラ座の怪人」世界ツアーにてバレエ・マスターおよびダンサーとして、アジア各地を2年に渡りツアーを行っている。映画「オネーギンの恋文」ではレイフ・ファインズとリヴ・タイラーと共演、若い軽騎兵の役を演じる。最近はウィーン・フェスティバル・バレエと共にバレエ・マスターおよびキャラクター・ダンサーとしてUKツアーを終了。
ピラティス
日本出身。日本にてクラシック・バレエの訓練を受けた後、1993年ランベール・スクールで学ぶため渡英。1996~2002年は日本にてプロ・ダンサーとして活躍。2002年、アラン・ハードマン・スタジオにてピラティス教師トレーニング・コースを修了。その後、アラン・ハードマン・スタジオ、チェルシー・ハーバー・クラブ、ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスおよびミレニアム・ダンス2000でピラティスを教える。特に、けがを負った後のリハビリおよびけがの管理に関するピラティスを教えている。
バレエおよび関連科目
フリーの教師および振り付け師として国際的に活躍し、ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス(RAD)では、ヴォケーショナル・グレードの試験官を務める。ロイヤル・バレエ・スクールにて一貫教育を受け、ロイヤル・バレエおよびイングリッシュ・ナショナル・バレエに在籍した経験もある。主要なダンス雑誌の執筆を手がけ、ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスのマニュアル2種「ザ・ファウンデーション」「クラシック・バレエ 技術の発達」制作においては芸術面の監修に参加。技術に関する彼の著作は、RADのバレエ教授法サーティケート履修者の必須図書となっている。また、RADによるプロダンサーのための教授法ディプロマ・コースで教壇に立ち、試験官養成のための訓練にも定期的に関わる。サー・ローレンス・オリヴィエ賞の審査パネルは2年連続務める。グレート・ブリテン国立ユース・バレエ団設立時のパトロン。ヴォイス・オブ・ブリテン・バレエ団の音声アーカイブのためにインタビューを提供。RADではさらに特別研究員の地位を与えられ、同校の芸術審議会および理事会の両者に所属。ロイヤル・バレエ・スクールでは理事会会員を務める。
理学療法士
元ダンサー。若い頃はランナーおよび競泳選手として活躍後、工学製図工として仕事を始める。ダンスに転向後、ジェーン・ダドリー、インゲ・ロングロスおよびミシャ・ベルゲーゼなど独立アーティストとの共演を経て、英国の主要コンテンポラリー・ダンス・カンパニーであるロンドン・コンテンポラリー・ダンスに10年間所属。その後整骨療法を学び、卒業後は運動選手、ダンサー、闘士など身体活動のプロを対象にした個人診療所を経営。診療所を去ってからはコンセルヴァトワール・オブ・ダンス・アンド・ドラマにて職に就く。2006年、ランベール・スクールにて「検査、治療およびリハビリ」部を開発、開設する。学部生を対象に解剖学の講師として教壇に立ち、学術的な講義の補佐役を務める。ダンスのほかには柔道や松涛館空手など、武道に常に関心を持っている。ダンサー時代は合気道を習得。松涛館空手初段、合気道ニ段の有段者。
キ・ゴング関連科目
ハプキドー、ハドン・ガンボ、テコンドーそれぞれにおいてグランド・マスター八段、また格闘技同盟七段の有段者。伝統的な韓国針療法士の資格を持ち、かつては朝鮮特別部隊において武道の訓練長を担当していた。韓国大統領およびヨルダン王室の警備員など要人の守衛の訓練に関わる。テレビ、映画、舞台制作の現場で武道監修役を務める。