ランベール・スクール・オブ・バレエ&コンテンポラリー・ダンス

歴史

マリー・ランベールがロンドンでバレエを教え始めたのは1919年のこと。自伝の中で「1920年に自分が受け持っていた生徒たちを集め、プロとして教え始めた」とあります。これがランベール・スクールの原点で、当時はノッティング・ヒル・ゲートに所在していました。ここから後に、ランベール・ダンス・カンパニーが誕生するのです。

スクールは今も、確かなテクニックの習得を基本とし、かつ革新的なダンスを生み出す場であり続けています。新しい振り付けを奨励していたランベールは「私は全力でクラシックの伝統にこだわって教えた」と残しています。当時と同様に現在でも個性を尊重し奨励する教育が行われています。「スクールは決してソーセージ工場ではない」というランベールの有名な言葉にもあるように、画一的な教育を受けた質の悪いダンサーたちを大量生産する場所であってはならない、というのが彼女の信念でした。スクールは常に個人の創造性、至高性、そして直感力(時には奇抜さも)を育成し最高のレベルに到達するための訓練を施してきています。

個性と革新を強調することはすなわち、その表現を振り付けによって見出すことになります。これはランベール・スクールの歴史の中で、最重要視されてきた理念です。スクールはフレデリック・アシュトン卿、アントニー・チューダーやクリストファー・ブルースなど著名な英国人振付家を数多く輩出してきました。現在のランベール・スクールの卒業生たちもカンパニーを結成したり、振り付けにおける名誉ある賞を受賞したり、第一線で活躍しています。

革新の場であるということに関連しているのか、定かではありませんが、スクール自体も過去に再三の「復活劇」を演じています。その都度、スクールはランベールの伝統を守りつつも新たな気風を生み出してきました。そういった背景が現在のランベール・スクールを形成するきっかけとなったのです。1970年代後半のバレエ・ランベール(ランベール・ダンス・カンパニーの前身)は、創立時の理念からかけ離れた方向性を持つようになっていました。カンパニーとその後援者たちの投資で、現在トウィッケナムにあるスクールの基盤が確立。一時期は「ランベール」という名を持つスクールが3校も存在したことがありましたが、そのうちの2校が合併し、残る1校は解散。現在のランベール・スクールが残りました。

スクールはその後、西ロンドン高等教育研究所の一環として形成され、ブルネル大学に組み込まれました。2003年、芸術的、教育的そして経済的な理由からランベール・スクールはブルネル大学から独立しました。

ランベール・スクールは現在でも敢えて小規模経営を維持し、プロフェッショナルなダンス教育と訓練の場として世界でも指折りのスクールとして名を馳せています。ダンサーとして、監督として、振付家そして教師として、世界各地のダンス界において卒業生たちの活躍を見ることができます。近年の卒業生たちがたどった道を、現在のスクールの卒業生も歩んでいくでしょう。過去の卒業生たちの活躍先として、オランダ国立バレエ団、英国ノーザン・バレエ団、スコットランド・バレエ団、ボストン・バレエ団、ケープタウン・バレエ団、ソウル・バレエ団などのバレエ・カンパニー、そしてランベール・ダンス・カンパニー、ネザーランド・ダンス・シアター、マース・カニングハム・カンパニー、リチャード・アルストン・ダンス・カンパニー、ミュンヘン・ダンス・シアター、フェニックス・ダンス・カンパニー、スコットランド・ダンス・シアターなどのコンテンポラリー・カンパニーが挙げられます。